2009年10月04日
五輪招致失敗は誰の責任でもない
2016年東京五輪の夢が潰えた。 10月2日未明、コペンハーゲンから伝わってきた結果は「第2次投票で敗退」だった。第1次投票でシカゴが脱落してから、わずか2分後。あっけない幕切れに、投票を見守っていた都民も、残念・・・というより、あっけにとられた感じだっただろう。 この結果について、早くも「検証」が始まっている。 先日、現地で行われた記者会見では早くも「石原知事の進退問題」が挙がった。都民の血税150億円が注ぎ込まれたわけだから、これが“水の泡”と帰した結果を重大に受け止めることは重要だ。知事に「法的責任」とはいわないが、何らかの「政治的責任」がかかってくるのは当然だろう。 だが、知事が言う「都政の問題はこれだけではない」と「続投」の理由の当否はともかくとして、今、この職を投げ出す必要はないし、またそうすべきでもない。潔いといわれるどころか、後世への笑いものとなるだろう。 ここは、残り1年半の任期の間に、150億円を注ぎ込んだ招致費用が生み出した「レガシー(遺産)」をしっかりと検証し、次の都政に生かしていくことが大切だ。他の重要政策ももちろんだが、五輪関係に関しては、その総括、そして「次(2020年)への橋渡し」をしてバトンタッチしてほしい。 落選の原因について、さまざまな声が出ている。各メディアを見ていると、「支持率55%」にその理由を求めるもののほか、ロビー活動の不足や準備不足、また国内のさまざまな社会問題(雇用、教育など)に求めるものもあった。 どれも、「あとから将棋」であり、あとからいろいろと理由をつけるのは簡単だ。だが、実際にはそんな「難しい」理由ではないと思う。IOC委員の投票行動は「複雑」であり、また「単純」だ。 IOC委員は、総会でのプレゼンテーションの出来不出来で投票行動が変化するなどといわれるが、実際「変化」はごくわずか。自身の持つ価値観(それは人種、宗教、経済的要素、“大義”、ロビー活動など多様にわたる)に応じて投票行動を決めるし、それは非常に複雑怪奇だ。だが、投票行動自体は非常に「単純」で、それに応じて、自分なりの順位を定め、落選都市の状況に応じて、順番に投票していく。プレゼンテーションは、IOC委員が自らの選択を自身で“納得”するための後押しに過ぎないのだ。 立候補都市・東京は、綿密な準備書面によって自らの“ふさわしさ”を極めて堅実にアピールした。IOC委員に対する“働きかけ”は非常に正攻法で、「北京」とは全く異なるアプローチだった(詳細は述べないが)。時には「汚い手」を使うのも“外交”であるが、あえて、日本らしい「朴訥さ」、悪く言えば「外交下手」なやり方で、やれることは全てやった招致活動だったと思う。 それが、プレゼンテーションで石原知事が見せた「自信」と「万感の思い」をこめた英語スピーチにつながったのだろう。私自身が初めて目にした(失礼!)「政治家らしい石原さん」だった。 五輪招致ははっきり言って「時の運」だ。それを覆すことは容易ではない。150億もの血税を「時の運」に注ぎ込むとは何事だ、という声もあるかもしれないが、政策の中には、“石橋をたたいて渡る”ものもあれば、「結果は神のみぞ知る」ものもあると思う。後者を認めなければ、政治にロマンはなくなるだろう。 だから、私は都政に対し、招致失敗の「責任」を求める必要はないと思う。 前述したように、招致活動がもたらした「レガシー」を次に生かすための努力をすべきだし、招致に当たって約束した「環境都市」の公約は、たとえ五輪がなくても重要なものだ。その「次への視点」こそ、4年後の「2度目の正直」につながるはずだと思う。
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posted by asa8043 |09:06 |
2016年五輪 |
この記事に対するコメント一覧
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五輪招致失敗は誰の責任でもない
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おおむね、同感です。
私はもともと東京への招致に150億円かける必要はないという意見ですが、投票結果には時の運もあります。招致が失敗したから責任をとれということに直結させるのは、間違いです。
ただ、10/4帰国後の会見では、まずは「招致できず、申し訳ございません」から始めるのがよかったのでは。
http://opinion-dmori.cocolog-nifty.com/blog/
posted by DMORI | 2009-10-04 14:05
五輪招致失敗は誰の責任でもない
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招致失敗の責任を問う必要はないと思いますが、国民の支持がない中でなぜ立候補したのかという問題は知事の責任として残ると思います。
国民にとってはエンタテイメントである五輪の支持率が55%というのは異常に低い数字です。ぜひやって欲しいと思う人は極めて少なかったと思います。日本でオリンピックをという盛り上がりも投票の当日まで全くなかった。
日本人はオリンピックをやることには関心がなかったと言っていいでしょう。
不況のせいもあるだろうし、国威発揚という意識が日本にはなかったこともあるだろう。もう一つ忘れられないことは日本はもう金メダルをとれる種目が限られており、開催してもそれが飛躍的に増えることが望めないことだ。もし野球が公式種目に入っていたら展開は違ったでしょう。
招致活動より国民の盛り上げの方をむしろやるべきだったと思います。しかし国民を盛り上げることは石原都知事が最も不得手とするところです。彼は、他人の悪口、人を恫喝することは実に上手ですが、みんなの気持を盛り上げることは一切できない人です。
posted by ひとこと言わせてください | 2009-10-06 20:41
石原都知事の会見は、まずお詫びから入るべき
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選定は時の運であり、勝負だから、仕事にミスしたような責任を問う必要はない。しかし都民の多額な税金を投入して実を結ばなかったことは事実だから、帰国会見では、まず都知事以下JOC役員がそろって起立し、「招致できず、申し訳ございません」のひと言から始めるべきではなかったか。
http://opinion-dmori.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-cd2c.html
posted by DMORI | 2009-10-06 21:47
五輪招致失敗は誰の責任でもない
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「申し訳ございません」の言葉が必要かはともかく、
「予算の執行」を終えたわけですから、速やかに、その明細を都民に明らかにし、その使途が正しかったのかどうか、事後的な審査を受ける責任があるのは当然だと思います。
招致活動中は明らかにできないことが多くあったはずですが、それが終了した以上、今度は、予算の使い方が本当に招致活動にふさわしいものだったのかどうか、という審判は残るのであり、それは他の政策と同じだと考えます。
それが、メディアや都民の批判にさらされることと、「招致失敗の責任」とは、次元の異なる問題だと思います。今後、しっかりと目を凝らしていく必要があるでしょう。
posted by 朝倉浩之 | 2009-10-09 07:49
五輪招致失敗は誰の責任でもない
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支持率の問題について
都民はじめ、国民が五輪開催に対して、それほど盛り上がっていなかったではないか・・・まさにそのとおりだと思います。55%という数字の真偽はともかくとして、国民の大多数が「熱狂的に五輪を切望する」という状況にはなっていなかったのは事実です。
ただ、以前私のエントリーで主張したことがあるのですが、この55%という数字はある意味、非常に健全なものだと思います。五輪開催は、金銭的な部分のみならず、テロの危険性などの治安面、そして、ある一定期間、「五輪のための街づくり」をしていかねばならない(都市の発展状況によって、その度合いは異なりますが)などのさまざまな「制約」等があります。
単なるエンターテイメントというよりも、政治的、経済的にもさまざまな意味合いがあるのは事実で、その分、さまざまな方面や立場からの捉え方があります。
ですから、支持率が70%を超える・・・などといった「熱狂的な支持」は私は必要でないと思いますし、北京五輪で見られたような「ほぼ100%」の支持など、フィクションにすぎません。
その点、55%という数字は、半分ちょっとの方が支持しているという、ある意味「健全な」支持率だと思います。
すでに招致の段階から、その是非が(よかれ悪しかれ)メディアなどを通じて、都民に情報提供がなされ、その議論がなされている証ではないか、と私は考えます。
仮に、五輪開催が決まっていれば、その後、2016年に向け、さまざまな利害が生まれ、さらに、この数字が変動していったでしょう。たとえ、五輪開催が際に迫っていても、批判と賛同が入り混じる中で実施される・・・都民の監視の下に置かれる・・・それこそが自由な市民社会の中で行われる五輪だと思います。
また五輪招致の失敗は、実際、「支持率」とはほとんど関係がないと思われます。残念ながら・・・有象無象のIOC委員の投票行動は、メディアが言うほど、単純なものに寄ってかかることはないというのが現実です。
posted by 朝倉浩之 | 2009-10-09 08:05


