2008年04月30日
五輪まで100日、変わらぬ日常と鼓動
北京五輪開幕まで、あと100日となった。 だが、北京にいる私たち生活者にとっては、「あと100日」といっても実感が沸かないのが正直なところだ。 スポーツの取材者として、オリンピックを迎える街がどう変貌するかをこの目で見たいと、この地にわたって4年。いよいよ“本番”がやってくるのに、まだ実感が沸かない。北京の街は、さまざまな動きを見せているが、まだまだ「雲の上」のことが多く、私自身の身の回りで「オリンピックが踊りだした」という雰囲気ではない。世紀の大イベントを迎える前というのはこういうものなのか。これが「嵐の前の静けさ」なのだろうか。 朝起きて、いつものように出勤のため、マンションを出る。 ここで“空気が悪いため”ゴホゴホとやっているといえば、喜ぶ人もいるかもしれないが、残念ながらそんなことはない。歩いていて、服が真っ黒になることなど“絶対”にない。(笑) 団地の中庭では、お年寄り達が太極拳の練習に勤しみ、聞きなれた音楽が耳に入ってくる。満員電車は毎日のことだ。押し合いへしあいしながら、事務所に出勤し、いつもの仕事が始まる。取材、原稿書き、チェック・・・。時間がくれば、地下鉄に乗って、また家路に着く。 北京の暮らしなどそんなものだ。政治や権力の世界が何だかんだと大騒ぎし、ギョーザだ、独立だと騒動が起きるが、市民の生活は、それらの喧騒と全くかけ離れたところにある。街を歩く人たちの様子も、ここ4年何も変わらないし、住宅のベンチではお母さん達が子供を連れて、ペチャクチャと四方山話に花を咲かせている・・・それは日本の庶民の暮らしと全く同じ。それは、ある意味、色々なことへの無関心ではあるのだが、それが現実というものだろう。 僕の生活上の困ったことといえば、「今月の懐具合が寂しくなった」なんて、これも日本にいる時と同じ。「日本人と知られないようビクビクしている」「食べ物が悪くて、お腹壊してばっかり」ということもない。 日本メディアが嬉々として伝える「五輪前の北京の問題点」は結局、生活者にとっては、インターネットの文字情報だけに存在するフィクションに過ぎない。「生活」なんて、そんなものだろう。 だが、そんな日常の中で、時折、五輪に向けた街の変化の息吹を感じることがある。それは、ちょっとした変化や新しい物事のスタートなのだが、僕はそれを目にした時、今このとき、北京にいて良かったと感じる。恐らく、その小さな変化の積み重ねで、少しずつ、この街は「オリンピック色」に染まっていくのだろう。 僕は中国メディアに職場は持っているが、このブログやその他、執筆しているコラムはあくまで日本人のメディアとして、限りなく個人の身分で書いている。僕は他のどの大メディアよりも早くから、五輪に向けた北京の街の様子を見つめてきたし、この街で“生活”することで、本当の市民の暮らしに接してきた。 このブログでは、これから北京が迎える「熱き100日間」を、プロの伝え手として、だがあくまで市民の目線でお伝えしていく。 批判すべきところは批判するし、素晴らしいと思うところは素直にその良さを、感動を伝えようと思う。 口先だけで「政治とスポーツは別」という論理を振りかざすのではなく、本当にそんな生臭いものとは全く違うところに、「北京市民が迎える五輪」があることをこのブログを通じて、日本の皆さんに伝えたい。大学生が中心となったボランティアが北京五輪を支える
posted by 朝倉浩之 |10:10 |
スポーツコラム |
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