2007年02月24日
今回は、以前お話しした基底面(base of support : BOS)と重心(center of gravity : COG)の関係を説明します。
図の左側をまずご覧下さい。これは立位(立っている状態)での基底面と重心の位置を示します。静止して立っている時は、この基底面内に必ず重心(正確には、重心から床面に落ちる垂線=重心線と床面との交点)が存在します。さらに両足で立ったまま、前後左右にある程度(→基底面内に重心が存在する範囲)重心を移動させることができます。立って腰を前後左右に移動してみて下さい。また、重心を上下にも移動できます。いわゆるスクワット動作やしゃがみ立ち動作などはこの典型です。
しかし、この重心移動も基底面内を越えると、転倒の危険が生じます。それを防ぐためにヒトは様々な反応をします。詳しくは後にふれますが、主に足首(足関節)と、股関節、および膝関節を使った方法で、何とか重心を基底面内に止めようとします。それでも転びそうになると、基底面自体を移動させてそこに新たに重心を落とします。それら全てが「動く」ということを表しています。右の図は、一歩右足を前に出して進んだ状態を示しています。この連続が歩行という動作になります。
すなわち、歩行とは基底面を常に移動させながら重心を移動させる動作ということになります。(これも以前申しましたが)「動く」ということは、静的安定(=止まっていること)を崩して、連続的に重心を移動させることになります。しかし、転ばずに進めるという意味では安定しているとも解釈できます。そこで、同じ安定でも、動きながらバランスを保っている状態を、動的安定(dynamic stability)と呼び、止まっている状態と区別して表現します。何だか少し専門的になりましたが、お分かりいただけますでしょうか?
ヒトの動き(=動作・運動)を重心と基底面で解釈していくと、分かりやすくなるので、もうしばらくお付き合い下さい。今後は、基本的な動作をこの重心と基底面から解釈してみましょう。その前に次回は、足圧中心(center of pressure : COP)のことにも触れなければなりませんので、なるべく分かり易くをモットーに説明を試みます。ではまたぁ。
posted by 朝野裕一 |09:31 |
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2007年02月16日
前々回、二軸動作の話をしましたが、同僚から教えてもらったゴルフの雑誌からの情報をお話しします。誰のお話かというと、あの宮里藍ちゃんのお父さん、宮里優氏のゴルフ雑誌の漫画「宮里道場」内での説明についてです。氏は下半身一軸・上半身二軸を提唱しています。
う~ん?今までの話とまた違うなぁ!・・・と思われた方もいると思いますが、氏の話はあくまでゴルフのスウィングをいかに巧く行うかのコーチングとしての説明で、確かにこの方が実はゴルファーには分かりやすいと思います。
「回転運動のイメージ図2」を見ていただくと分かると思いますが、両股関節を二軸として使えないと、単に左右への身体の横移動(側方移動)が大きくなり過ぎ、いわゆる『スウェイ』した状態になってしまいやすいと予想されます。一方、一軸での回転運動は側方移動が少なく済みます。しかし、身体がぶれない分、動きは固定されます(固くなります)。
二軸で!と言うとついつい、横移動が大きくなりやすく、本来の二軸動作を逸脱してしまうということです。しかも、腰(骨盤)から両肩までの上半身を一体にして動かすことを意識していると、上半身を二軸で(→一軸で固めず)・下半身を一軸の『ぶれ(スウェイ)』のない動きで、と言った方がピンとくる!ということでしょう。
この様に、動きを習得させる際の説明は、科学的事実(現象)と必ずしも一致した厳密な言い方ではない方が、効果的なこともあるということです。すなわち、氏の説明は厳密にいうと私の考えでは事実とは異なるのですが、実際の動きの感覚を説明する時には正解になる訳です。しかも、氏はさらに、樽の中でスウィングすることをイメージさせてさらに分かりやすく説明しています。
「回転運動のイメージ図3」を見てください。点線で囲まれた樽の中で身体を回転させる時、正しく二軸回転できれば樽の中でスウィング可能ですが、間違ったイメージで動かすと樽の中では回転できなくなります。
この様に、運動を学習するというのは理論的背景と同時に、求める動きを再現してもらうための工夫が必要になってきます。我々理学療法士は、常にその事を念頭に仕事をしています。同じ動きを説明するにも、相手の理解度や性格・年齢・運動経験度、運動障害の程度などにより、方法や手段を変えて、頭での理解より身体感覚での学習を目指しています。だからこそ面白い仕事でもあります。ではまた次回をお楽しみに。
posted by 朝野裕一 |15:45 |
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2007年02月08日
さて、今回は予告通り『膝を抜く』ということについて書こうと思います。以前からコメント上で質問されていたのですが、この膝を抜くということの説明は、簡単ではないなと思い、保留していました。うまく伝えられるかどうか分かりませんがやってみます。
膝を抜くとは?→*立っている状態で急激に膝の力を抜いて下方に下がる
*続けて床からの反力を利用して上方への動きを助ける
*踵から踏み込んだ際に膝の力を抜く事で前方へ早く進む
*膝の力を抜いて前方に倒れ込む力を利用して相手に衝突(タックル)する
などの効用があるのではないかといわれています。
すなわち、重力と床反力の利用で、筋力以上の力もしくは筋力発揮のエネルギーを節約する(省エネ)効果を期待できるということです。また素早く動くという効果も期待できる分、武道でも(剣道 他)利用される動きです。
昨年、エレベータから素早く降りる時の身のこなしについて書きました。その時のコメントで、膝を抜く動作で早く動けるのではないでしょうか?というご質問を受けました。今回の話から、確かに前方へ直線上に進むには、早くなるのではないでしょうか。ただし、人をよけて、もしくはドァの閉まる直前に素早く身体をかわしながら前に出るには、その時図示したような方法(12月30日付け「続・素早く動くとは?」参照)が一番理にかなっているのではないかと(体験上から)思います。
また、膝を抜くといってもやはりタイミングを間違えると単なる不安定動作になってしまいます。踵から踏みつける時の膝を抜く動作というのは、相当前に大きく動きたい時には利用できるでしょうが、普通に歩いている時には膝折れ現象になってしまいます。
この様に、(今回は『膝を抜く』という動きでしたが)動きというのは単に○○の方法をとれば、効率も良く負担も少ないと、どの場合にも当てはまるわけではありません。その辺をよくよく考えて、どういう動きなのか、早く動くべき時・安定を優先させる時・安全を優先させる時などなど、目的と動く時の環境、動く人の体格・運動感覚なども違いますし、動き出しのタイミングなども異なってしまうと全く目的の動作とならないこともあるということを知っておいて下さい。
動作に万能薬はありません。これさえ覚えれば的説明は眉唾もので聞いて、鵜呑みにはしない方が良いと思います。
posted by 朝野裕一 |18:39 |
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2007年02月03日
週刊紙上で今、朝青龍をはじめとした八百長問題が(八百長問題としては何度目かの)話題となっています。
話題の焦点は、朝青龍が八百長をしていたか否か、もしくは相撲界自体が八百長を承知で興行していたか否かになっていますが、この問題自体は新しそうで古いもので、何年かに一度浮上してくる話題となっています。
私自身は、上記の問題よりももっと別の観点に関心を持っています。
- 相撲の出自:相撲は元々神事、すなわち神に捧げるいわば儀式であったということ
- 現在の大相撲のあり方:勝負を競う格闘技スポーツとしての興行
この二つが混在して現在興行が行われており、しかもギャップ→「儀式の要素とスポーツの要素との間の」が大きいために、断続的に八百長問題が浮上してくるのではないかと思います。
全くの私感ですが、『ガチンコ』という言葉がある以上、逆に真剣勝負ではない取り組みもあるのではないでしょうか(昔から)。しかもそれが確信犯と言うよりもっと慣習的な要素が含まれているのではないかと想像します。これ自体をより悪と見なすこともできますが、郷に入れば郷に従うという言葉もあるように、杓子定規に取られても困惑してしまう、というのが相撲界の本音ではないかと思います(勿論今の時点でソンなことは口が裂けても言えないでしょうが・・・)。
なぜそうなってしまうのか?
前述したように古くからのベースはあくまで儀式です。そこにスポーツ的要素を取り込み勝負にこだわること(勝負にこだわっているように見せること)を強要させられてきた歴史があり、しかも興行である以上お金がつきまといます。昔は一年に二場所だったものが、1958年からは現在のような一年六場所となり、頻度も増加しています。
もう一つはスポーツとしてとらえた場合の環境問題があるのではないかと思います。すなわち土俵とその回りの作りの伝統継承により、結構狭いところでギリギリの勝負をすることを要求されます。これによるケガの増加が予想されます。
巷間言われているように、若貴時代は『ガチンコ』中心の時代であったとすると、それ以降のケガによる休場の増加はこの環境と真剣勝負が組み合わさった時、当然予想される事ではないでしょうか。相撲協会はさらに、公傷制度を廃止しました。理由はケガを理由に安易に休む力士が増えたということです。確かに、そうなのかも知れませんが、この環境と巡業も入れれば多くの期間身体資本の仕事に就く力士としては、毎日ガチンコ勝負では(巡業では違いますが)体が持たないと思うのも無理はないと思います。単に稽古量の問題だけでは解決できないでしょう。
もう一つ、朝青龍を代表とする外国人力士への(公然とは出せないが)批判的要素も背景にありそうです。元々朝青龍に対しては私的生活含めた態度への批判がありました。特に慣習的な世界(伝統を重んずる世界)ではいくら強いと言っても、批判を消すことはできないのでしょう。
結論として、
八百長を敢えて取り沙汰せずに、今のままで良しとするか、徹底的に問題追求をしていくか?しかし、徹底的な追及でもし八百長が認められた場合相撲界は存続できなくなるのではないかと思います。
全くの素人がとやかく言うことはできませんが、伝統を重んずる方を優先するならば、今まで通りで良しとすべきでしょう。
より真剣勝負が見たければ、場所数を減らす、土俵周りの環境をケガのしにくいものに変えるなど検討し、伝統要素を変更せざる得ないと思います。
話が変わりますが、プロレスにも八百長問題が常にささやかれていた時代がありました。これは真剣勝負見たさのファンの増加とガチンコ勝負をしたいレスラーの登場により、紆余曲折の上に現在のようなエンターテインメント格闘技としてのプロレスと真剣勝負主体の総合格闘技に分かれていき、観客それぞれが望むものを見ることができるようになり(見る側が選択できるようになった)、八百長云々を今更問題提起する必要がなくなりました。
翻って相撲の場合は、何度も述べたように国技さらには遡ること神前儀式であったという背景が、事を難しくさせてしまうのでしょう。
今回の問題は週刊現代で取り上げられましたが、筆者が武田頼政氏(
以前このブログ上でも紹介した『G File』の著者)であるため、今後の動向をより興味深く見ていきたいと思います。どうやら相撲協会は週刊現代を訴える方向に向いているような気がします。一方の週刊現代側も受けて立つ姿勢のようで、野次馬的興味が沸いてきてしまいそうですが、そこを押さえて、この問題がもしかしたら国技大相撲が変革するきっかけになるならば良いなと思い、しばらく経緯を見守っていきたいと思います。
付記:大相撲に関する詳細な歴史は知りませんので、『ウィキペディア』などで補足して下さい
posted by 朝野裕一 |13:18 |
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