2011年06月28日
イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!
小松英之の連載がブログで紹介されました!
20日、セリエA、ローマの監督に就任することが正式に発表されたルイス・エンリケ。
選手としてはレアル・マドリー、バルセロナのスペイン2大クラブでプレーし、スペイン代表でも3度のW杯に出場するなど、活躍した。
2004年の現役引退後は、しばらくサッカーから離れた生活を送っていたが、08年からはバルセロナBチームを率いていた。
アメリカ人実業家トーマス・ディベネデット氏を新たなオーナーに迎え入れ、再出発を図る彼らはどのような道をたどるのか。 それはエンリケ監督が「文化の違い」を乗り越えられるかにかかっている。
かつてイタリア代表として日韓W杯に出場するなど活躍を見せたDFフランチェスコ・ココ氏は以前、インタビューでこのようなことを語っていた。
「僕は自陣ゴールの危険なエリアでは全て蹴り出せと教えられてきたんだ。そうしてイタリア代表にまで上り詰めてきたんだ。でもここ(01-02シーズンにレンタル移籍で所属していたFCバルセロナ)ではブーイング。どうしていいか分からないよ。」
ココのこの言葉が両国の”サッカー観”を如実に映し出していると言える。例え勝っても内容が伴ったゲームでなければならない、自陣の危険なエリアでも大きくタッチラインに蹴り出すのではなく、つなぐことを要求するスペイン。
「(ダービーなどでは特に)疑惑のPKで1-0で勝つのが最高の勝ち方」と言われるほど勝敗に対する執着が強く、内容は二の次、結果至上主義の国イタリア。
現在、欧州王者であり、世界王者でもあるスペインのサッカーは模範とされ、多くのクラブチーム、ナショナルチームが手本としており、イタリア代表もフィジカルばかりのトレーニングを見直し、スペインのように、徐々にボールタッチを多く取り入れたものを増やしているというが、それでも100年を超える歴史で培われた伝統、文化が簡単に変わるものではない。やはりイタリアの伝統はカテナチオであり、堅実な試合運びなのだ。
王冠を脱ごうとしている王様フランチェスコ・トッティの絶対的な後継者も今のところ見当たらないローマ。新オーナーが就任したことで資金は潤沢にあり、戦力補強に困ることはないかもしれないが、今の戦力でミラノの2強に対抗するのは難しいだろう。
現実的な目標はCL出場権獲得圏内の3位確保。エンリケ・ローマはタフなミッションを達成できるか。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
1993-1996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
BEE Football Spiritは「上海をサッカーの街にするプロジェクト」をサポートします!
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2011年06月27日
イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!
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日本代表MF松井大輔(30)が、女優の加藤ローサ(26)と結婚することが明らかになった。 加藤は現在妊娠4ヶ月だという。
共通の友人を通じて知り合ったという2人はフランスと日本という遠距離恋愛を実らせ、加藤の誕生日である22日に婚姻届を提出した。
一部報道では今シーズンから昇格してくる、リーグ・アン、ディジョンへの移籍がほぼ決まると言われている松井。 生涯の伴侶を得て「守るべきもの」が出来た事で、ますますプレーに磨きをかけてほしいものだ。
本人の目標はまずはしばらく遠ざかっている日本代表復帰だろう。9月からはブラジルW杯アジア3次予選がスタートするが、若い選手が多い現在の代表チームの中で、数々の激闘をくぐり抜けてきた彼の存在は欠かせないものになる。本大会時でも33歳。決して出場を狙えない年齢ではない。ピッチに出せば独特のドリブルで”違い”を生み出せる選手であるだけに、これからの松井の活躍に注目したい。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
1993-1996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
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2011年06月22日
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日本人FW指宿洋史の所属する、スペイン3部のサバデルが2011-12シーズンからの2部昇格を決めた。
柏レイソルU-18を経て、2009年1月にスペインに渡り、10-11シーズンから現在のサバデルでプレーしている指宿は、194センチの長身で日本人離れした体格を誇るが、足元のテクニックも秀逸。地元ではその名を知らぬ者はいない、人気と実力を持ち合わせた選手だ。
6月19日、23日にクウェートとの2012年ロンドン五輪2次予選を戦うU-22日本代表世代でもある同選手。この原稿執筆時点ではアウェーでの第2戦の結果がどうなっているかは分からないが(ホームでの第1戦は3-1で勝利。)、いずれにしても苦戦を強いられることは間違いないだろう。仮に2次予選を通過して最終予選に進出したとしても、このラウンドは4ヶ国中1位のチームしか本大会に進出することが出来ず、2位はプレーオフに回らないければならないというさらに過酷なサバイバルが待ち受けている。
「食うか食われるか」国の威信を駆けた戦いでは”ジョーカー”の存在が非常に重要だということは、過去の予選でも証明されてきた。「やられたくない」という思いが先行し、両チームが慎重に試合に入った時、あるいは疲労感から試合が膠着した時に、流れを打破するのは彼らの役目だ。
指宿をジョーカーとして位置付けるかどうかだが、現時点で関塚隆U-22代表監督が一度も召集していない点を考慮すれば、「選手個人に関するコメントはしない」という」姿勢を貫いている同監督だが、まだスターターとして起用するに値しない選手と位置付けていると考えられる。
しかし、「戦術のオプション」をもたらすという意味で、例えばどうしても勝ち点3が欲しい時、指宿の高さは大きな武器になる。彼を起点にしてパワープレーという攻撃も展開できるので、ベンチに置いておくと非常に重宝する。
あとは今シーズンの指宿がどのような活躍を見せるかにかかっている。
スペイン2部といえど、かつて元日本代表FW城影二氏が所属したバジャドリーや、ヴィジャレアル、バルセロナのBチーム、さらに今シーズンからは「スーペル・デポル」と呼ばれ、欧州を席巻したデポルティーボも降格し、1部経験をしているクラブが非常に多いため、選手の質は他国の2部リーグに比べ非常に高く、ここで揉まれていればおのずとレベルが上がっていくと言えるだろう。
最終予選は9月から予定されているが、その頃には新シーズンは開幕している。異色の経歴を築いてきた指宿が成長し、若きサムライブルーの救世主となる…
関塚監督の招集しているメンバーに不満がある訳ではないが、是非、考慮してほしいものだ。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
1993-1996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
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2011年06月10日
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3日、元日本代表FW鈴木隆行がJ2水戸に加入したことが同クラブより発表された。
鈴木は茨城県日立市出身。 ブラジルへの留学などを経て鹿島所属時の01年からは日本代表としても活躍し、02年に行われた日韓W杯グループリーグ初戦、ベルギー戦では日本代表に史上初の勝ち点をもたらす同点ゴールを挙げるなど、印象的なプレーを見せてくれた。
しかし、2008年から所属していたUSLのポートランド・ティンバースを昨年末に退団した後は無所属の状態が続いており、所属先を探していた。
さて、今回地元のクラブに入団することになった鈴木だが、現在水戸は資金難のため、異例の”アマチュア契約”になるという。彼は自身でスポンサーを探すか、アルバイト等をしながら生計を立てるしかない。かつては代表で栄華を極めた男が年俸も支払われないクラブでのプレーを選択… 何が彼をそこまで駆り立てたのか?
やはり「地元への愛」に他ならないだろう。折りしも今回の東日本大震災で水戸は多大なる被害を受けた地域だ。金銭的な面は目をつぶってでも、力になりたいと男気を通した彼の行動を賞賛したい。
水戸は現在、本拠地のケーズデンキスタジアムがメインスタンドの屋根の破損の影響で7000席が使用不可能となっており、バックスタンドとゴール裏の約5000席しか観客を収容できないという苦しい状況を強いられている。
経営難の主な要因が観客動員の低迷であるために、まさに「弱り目にたたり目」といった状況だが、地元が生んだスターの入団の及ぼす影響力は計り知れないものがある。
無論、「客寄せパンダ」で終わるつもりはない。
現在の状況を変えていくのも全ては自分次第。「目標はJ1昇格」と語る男は、愛する地元に光をもたらせるか。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
1993-1996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
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2011年06月07日
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日本代表は6月7日、横浜国際総合競技場でキリンカップサッカー2011第2戦、チェコ代表戦を行う。
チェコ・スロバキア時代はW杯準優勝の経験を持つ強豪国で、かつてはバベル・ネドベド氏(ラツィオ、ユベントスなどで活躍)など、攻撃的なタレントを多く抱えていたが、現在はチェルシーに所属する世界№1の呼び声高いGKペトル・チェフなど、守備陣に名手が揃うチームだ。目下、プレミアリーグ、ウエストブロミッジなどへの移籍が噂されている日本代表GK川島永嗣(リールセ)はこの世界最高の守護神との対決を非常に楽しみにしており、自身のプレーを見せたいと意気込んでいる。
日本の前に立ちはだかるであろうチェフはフランスの強豪レンヌなどを経て04-05シーズンにチェルシーに加入した。 当時から196センチという長身もあり、評判はあったのだが、まだ22歳という年齢もあり、どのくらい世界最高峰のプレミアリーグでやれるのかは半信半疑で見られていた。しかし、当時チェルシーを率いていたジョゼ・モウリーニョ(現レアル・マドリー指揮官)に導かれた ブルーズは見事プレミアリーグを制覇することになる。 この時樹立した15失点というシーズン最小失点記録は驚異的な数字であり、チェフの力なくしては成し得なかった記録と言えるだろう。
また、彼は2006年10月14日のプレミアリーグ、レディング戦で相手FWスティーヴン・ハントと交錯した際に頭蓋骨陥没骨折という重症を負い、一時は意識不明の重態に陥り、選手生命が危ぶまれた事もあった。 スキルはもちろんのこと、ゴールを狙ってスパイクや頭を出してくる相手攻撃陣に対し、ゴールを守るため飛び込んでいかなければならないのがGKというポジションだ。 何よりも勇敢さが求められる。今でこそトレードマークとなったチェフの”ヘッドギア”だが、これは彼の勇気を表す「勲章」とも言えるのではないだろうか。
イングランドはGKというポジションに対して理解が深い国と言われる。 古くはピーター・シルトン 、ゴードン・バンクス、デビッド・シーマンなど数々の名選手を輩出してきた。
チェフがプレミアリーグで世界一という名声を築き上げたのは間違いないだろう。
選手寿命が短いと言われるサッカー選手の中でも元イタリア代表GKディノ・ゾフや先日引退を発表したマンチェスター・ユナイテッドの元オランダ代表GKエドウィン・ファンデルサールなど、40歳を超えても一戦で戦い続けることが出来るのがGKというポジションだ。 長年のキャリアの中で積み重ねてきた経験、読みが大きくモノを言う事がある。
川島は現在28歳と選手として最も脂の乗り切った時期。今、プレミアリーグでプレーするということは日本代表にとっても大きな財産になる。
レンヌというヨーロッパの中では中小レベルのクラブからメガクラブへと駆け上がっていった”先輩”と同じ道を川島はたどれるのか。 チェコ戦、偉大な名GKを前に、川島は何を思う。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
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1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
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2011年06月06日
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マンチェスター・シティー所属のコートジボワール代表DFコロ・トゥーレが自身が太りやすい体質であることを悩み、妻の使用していたダイエットサプリメントを使用し、それに含まれていた成分が禁止薬物に該当するということでFAから5月26日に半年間の出場停止処分を言い渡されたが、今回の件が発覚した3月4日からクラブが自主的に同選手の出場を自粛しているため、この出場停止処分は3月から適用されているものとされ、トゥーレは来シーズン序盤戦数試合は欠場するものの、9月の2日からは晴れて試合に出場することが可能になるとのことだ。
しかし、今回のFAの判断には疑問が残る。半年のうち、実質2ヶ月はバカンスのためリーグ戦は行われていない。 当初は2年間の出場停止処分が科されるかとも言われ、厳しい処分が下される可能性も示唆されていた。ましてやトゥーレは「知らずに飲んでいた」と供述しているものの、プロのスポーツ選手ならば、禁止薬物の知識やサプリメントを摂取するときには注意を払わなければならないのは当然である。
そういった点で自己管理ができていなかった彼に実質4ヶ月の今回の出場停止処分はいかがなものか。 奇しくも来年にはロンドンで五輪が開催される。 個人やチームを批判してどうこう言うつもりはないが、サッカーに限らず、ドーピングに関しては目を光らせなければならないし、プレーヤーも自覚を持たなければならない。
<筆者紹介>
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1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
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5月28日に行われたJ1第13節、清水×磐田(アウスタ)の”静岡ダービー”で、磐田の10代サポーターが、清水、アフシン・ゴトビ監督に対し、「ゴトビへ、核兵器を作るのはやめろ」との横断幕を掲げ、イラン系アメリカ人である同監督を誹謗する内容。
これに対し、清水サポーターが磐田サポーター席に乱入、けが人2名が発生する混乱を招くこととなった。横断幕はまもなく撤去され、磐田・吉野社長は清水、サポーターに対し謝罪した。
欧州などでも度々起きている人種差別問題だが、今回は意味が違う。そもそも核兵器とフットボールは何の関係もないことであり、他国では一歩間違えば戦争の引き金になりかねない、デリケートな問題である。ゴトビ監督が核兵器を作っているとはよもや誰も考えていまいだろうが、横断幕に軽々と掲載していい内容ではなかった。
筆者は静岡ダービーを観戦した経験がないので、両者の因縁や歴史などは分からないが、かつて中学時代のチームメイトが静岡に在住していた経験もあり、その話やまたメディアなどからの情報を総合すると、小学校から子供たちは常にサッカーに興じており、「サッカー王国」の名にふさわしいという文化を持っているということだが、そうは言ってもまだプロ化してから20年の歴史。130年の伝統を誇るヨーロッパのダービーマッチにすぐに追いつくというのも難しい話だ。
勘違いしてはならないのは、過激な内容の横断幕がダービーの熱狂や興奮を呼ぶものではないということだ。Jリーグは「世界で一番幸せなスタジアムへ」というスローガンを掲げ、独自の安全基準のもと、ビンカン持込みの禁止(ペットボトルはスタジアムにより異なる)や、発炎筒の禁止など、小さな子供でも安心して観戦できる環境づくりを提唱している。
かつて、Jリーグで広島、神戸を率いた経験を持つ、スチュワート・バクスター氏は「日本のサポーターはヨーロッパの悪いところばかり真似する」と嘆いたことがあった。
日本サッカー界は長足の進歩を遂げ、「歴史の差」を急速に縮めつつある。
あとはファンもそれに追いついていかなければならない。
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2011年05月30日
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激動のシーズンが終了し、選手たちは束の間の休息を取る。しかし、すでに移籍市場では大型移籍も決まっており、水面下での動きも含めて来シーズンに向けての動きが本格化していく時期でもある。
さて、プレミアリーグに所属するリバプールは今シーズン6位に終わり、EL出場権を獲得することもできなかった。 6年チームを率いたラファエル・ベニテスに代わって招へいされたロイ・ホジソンは序盤戦には屈辱の降格ゾーンにすら位置するという低迷ぶり。
09-10シーズンではフルアムを欧州リーグ準優勝に導き名将の仲間入りかと思われたが、ビッグクラブでは思うようにはいかなかった(その後ホジソンはWBAの指揮官へ)。
冬の移籍マーケットでリバプールは動く。アヤックスからウルグアイ代表FWルイス・スアレス、ニューカッスルからイングランド代表FWアンドリュー・キャロルを獲得。さらには指揮官にクラブOBのケニー・ダルグリッシュを立てるとチームは劇的に変化。
その後の彼らの快進撃に関しては改めて触れる必要もないと思う。
ハイライトは第28節、ホームアンフィールドにユナイテッドを迎えたゲームだろう。 カイトのハットトリックで宿敵を3-1と下したこの一戦は彼らの底力をまざまざと見せつけられた。
一時はシーズン無敗記録を続けていたようなチームにこれだけのパフォーマンスが見せられるのだ。順位も一時は19位にまで落ち込んでいたのが最後はヨーロッパカップ戦出場権を争えるところまで持ってきている。 間違いなく力は持っている伝統あるクラブだ。そんな事は誰もが知っている。しかし、今シーズンも序盤戦の借金がでかすぎて、「追い上げ及ばず」といったところだ。 ここ数シーズン同じようなことを繰り返すばかり。
課題は「シーズンスタート時のコンディションとパフォーマンスの向上」これに尽きる。
そういった点で今夏リバプールが計画しているアジアツアーはリスクが伴う。かつてレアル・マドリーがビジネス面を重視し、日本などにツアーを断行したことがあったが、その結果として、選手はコンディション調整が十分にできず、タイトルを獲得することが出来なかった。リバプールも同じ危険をはらんでいると言える。
しかし、現在のリバプールは今シーズン開幕前に買収問題が持ち上がったように、経営状態がどのくらい改善されているのか定かではない。現在オーナーを務めるのはMLBレッドソックスのオーナーでもある、ニューイングランドスポーツベンチャーズだが、スポーツビジネス的な観点から考え、今のユナイテッドやチェルシーに対抗するには世界的プレーヤーをあと数人補強する必要があり、そのための資金集めとして今回のアジアツアーを計画したと考えられる。
果たして”アメリカ式”のやり方をイングランドに持ち込もうとしている彼らのやり方は成功するのか。現在のリバプールでは長期的に熟成された戦力を誇るユナイテッドやチェルシーを倒してプレミアシップ制覇というのは余程の運に恵まれない限り不可能だろう。
それでも、ダルグリッシュ監督と長期契約を結び、今季活躍した戦力に少々の”スパイス”を加えて煮詰めていけば面白いクラブになることは間違いない。 2011-12シーズンのリバプールに注目したい。
※原稿執筆時点でCL決勝が終了していないため、「今シーズン」2010-2011シーズン 「来シーズン」2011-21012シーズンとします。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
1993-1996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
BEE Football Spiritは「上海をサッカーの街にするプロジェクト」をサポートします!
posted by BEE Football Spirit編集部 |00:20 |
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2011年05月19日
イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!
小松英之の連載がブログで紹介されました!
残念だ。 日本代表が7月に開催される南米選手権の参加を断念した。
東日本大震災の影響に伴い、本来中断期間中だったこの時期にJリーグを行わざるを得ず、招待参加のため、海外組も召集拘束力がない。一時は大学生メンバーを送り込むなど、最後まで努力を重ねたが、選手が揃わねばどうにもならない。誰も責める事はできないだろう。
誰しもが、世界最高プレーヤー、FWリオネル・メッシ(バルセロナ)率いるアルゼンチンとの対決を見たかっただろう。 しかし、筆者は個人的には今回の判断はある意味「英断」だったのではないかと思っている。
スケジュールを切り詰めて長時間のフライトの末、南米に行って激しい戦いを行う。ましてや欧州戦線は終了したばかりでほとんどオフもない。 ”日本の復活”をアピールするために乗り込んだ大会で負傷をしてしまっては目も当てられない。いい休息期間だと考え、個々がそれぞれのクラブで鍛錬を積む期間として欲しいものだ。
何より、今回欧州の各クラブが選手派遣に難色を示したということは、それだけ日本人選手の力が認められてきているという何よりの証である。
クラブ首脳も「来シーズンの土台を固めるこの時期に抜けられては困る」と口々にコメントしているし、そう悲観することばかりではないということだ。
移籍市場がどうなるか、この時点では分からないが、このまま現在のクラブにとどまり続ければ、慌ただしくクラブに合流した昨夏よりも、地に足をつけて有意義なキャンプを送ることを出来るのではないだろうか。MF本田圭祐(CSKAモスクワ)が語るように「個の成長」も日本代表がもう一段階ステップアップするための重要な要素の一つである。
とはいえ、そう悠長なことも言っていられない。9月からは2014年ブラジルW杯予選が始まる。
「3次予選くらい大丈夫」などといった油断や慢心はよもやないとは思うが、日本はアジアカップから全くコンビネーションの熟成が出来ていない。この点では他国に大きく遅れを取っている。ザックはこの状況にどう立ち向かうか。
フランスやイングランドですら、過去にはW杯予選で涙を呑んできた過去があるのだ。”国家の代理戦争”は何が起こるか分からない。
予選まで残されたテストマッチは6月のキリンカップと8月に行われる韓国との壮行試合のみ。 いつも以上の危機感を持って臨まないといけないだろう。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
1993-1996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
BEE Football Spiritは「上海をサッカーの街にするプロジェクト」をサポートします!
posted by BEE Football Spirit編集部 |00:26 |
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2011年05月16日
イングランド・オランダ・日本・中国の各国の指導者ライセンスを所持するサッカースクール!
小松英之の連載がブログで紹介されました!
5月10日・11日、ACLグループステージ最終節が各地で行われ、Jリーグ参加全チームが決勝トーナメント進出を決めた。
今年は12月に行われるクラブW杯が日本開催となるため、「開催国枠」として2011年シーズンのチャンピオンは自動的に出場が決定している。 しかし、アジアの戦いを勝ち抜いての大会参加はある意味”至上命題”とも言える。
ここ2シーズン、日本勢はベスト8を前に全チームが姿を消しており、苦戦が続いている。背景には2007、2008年に浦和、G大阪が大会連覇を果たした事が無関係ではないだろう。
彼らはその後、クラブW杯の舞台でそれぞれACミラン、マンチェスター・ユナイテッドと戦った。色々と意見はあったが、やはり「クラブ№1」という名誉を得るため、この欧州屈指の強豪も本気で日本に乗り込んできたはずだ。 そのクラブとガチンコ勝負をする… 選手としてこれほど幸せなことはない。
他国クラブ関係者はどういった思いでこの一戦を見ていたのだろうか。
すぐ手の届くところに世界最高峰と戦えるチャンスがあるのだ。選手であるなら「来シーズンは俺があそこに」と思うのが当然だろう。そういう点ではこれがライバル心に「火をつけてしまった」ことだろう。翌シーズンからは浦項、城南と韓国勢がアジア2連覇を果たしている。
1月に行われたアジアカップでは代表としてはアジア王者に返り咲いた日本。クラブチームとしても盟主の座を奪還するためにも、上記4チームは決勝トーナメントでこれまで以上の決意を持って臨む。
もう一つ、彼らにとっての”戦う理由”それは11日で発生から2ヶ月が経過した東日本大震災だ。いまだに多くの爪跡を残す中、人々は新たな歩みを少しずつ始めようとしている。
特に鹿島は被災クラブの代表として、原発問題、農作物等の風評被害など、地元が深刻な問題を抱える中、悲願の”アジア王者”という形でそういったネガティブな話題を全て一蹴したいところだ。
元日本代表MF稲本潤一(川崎F)の「(被災地に行ったところで、病気を治せるわけでもないし、仮設住宅を建築できるわけでもない事に触れ)サッカー選手はサッカーをしていないと本当に社会から必要とされていない人間なんだなと実感した」という言葉に集約されるように、今被災されている方々の現状とのギャップがあることは確かに否めないだろう。しかし、まずは「ひとつの形」として完結させることだ。優勝賞金の一部を支援金に充てるなど、そこから様々な形で復興への後押しをしていくことは出来る。
先日、決勝トーナメント1回戦の組み合わせが発表され、いきなり”大阪ダービー”が実現することになった。この時点でベスト8に日本のクラブが進出することは確実になったわけだが、鹿島(FCソウル戦)、名古屋(水原戦)はアウェーの戦いに挑む。1位クラブのホームで1発勝負で行う、という独特のレギュレーションの中、これまではホーム開催権を得ることに比重があったのではないだろうか。鹿島の選手が語るように、「目標はそこではない」わけで、1回戦がホーム開催か敵地での戦いかはどちらでもいい。まずは目の前の敵を倒すことに集中してもらいたいものだ。
今シーズン、Jリーグはアジアの頂にたどり着けるだろうか。
<筆者紹介>
中島雅淑 1983年 9月5日生まれ
1993-1996 地元の小学校のサッカー少年団でサッカーを始める。 当時は宇宙飛行士を夢見ていて「体を鍛えるため」という名目だったが、次第に魅力に取り付かれていく。
1996-1998 中学校のサッカー部に所属。
1999- 高校受験とともに辞め、進学校だった事もあり、一時期サッカーから離れるも、プレーしなくなった事により、見る「目」が肥えてくる。 また、高校2年時にはアジアカップ2000が開催され、再びサッカー熱に火がつくようになる。
2002- 大学のサークルでプレー。日韓W杯は全試合観戦。また「瑞穂陸上競技場」「豊田スタジアム」で名古屋グランパスの売り子アルバイトをしながら試合を観戦
2003- 大学中退して大阪へ 専門学校のフットサル大会のため体を動かす程度。テレビ局の関係でチャンピオンズ・リーグを定期的に観戦。
2005 3月 インターンシップで第87回センバツ高校野球のスポニチの取材補助を経験。
2006- 仕事の関係で東京へ プレーはしなくなるが、WOWOWに加入していたため、毎週リーガエスパニョーラを観戦。
2007- 地元岐阜に帰還。 FC岐阜が財政危機に陥っているという話を聞き、「地元のクラブを助けなければならない」という思いから、定期的にスタジアムに観戦に行く事になる。
また、市民参加型インターネット新聞新聞サイト「オーマイニュース」に登録して、スポーツ記事を主に発信。年末には活躍が認められ韓国での記者交流会に参加。
2010- テレビ局の関係でプレミアリーグを見るようになる。
<エピソード>
嫌がる元カノを無理矢理瑞穂陸上競技場のグランパス戦へ、 せっかくガストでいい感じで女の子と食事していたのに02/03のクラシコがテレビ放映されていたため、気がそっちへ行ってしまった実績あり。
波乱万丈な人生を歩む、だが東海屈指にフットボールを愛している27歳の男。
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