2007年11月16日
ロバート・テイラー逝く
ロバート・テイラーが亡くなった。59歳だった。 1972年のミュンヘン五輪陸上で400mリレー金メダルと100mで銀メダルを獲得したアメリカの選手だ。 ミュンヘンの100mは歴史に残るレースである。 というのも優勝候補と目されていたアメリカの2選手が召集時間に遅刻するという失態があったからだ。 ミュンヘン五輪の100mにエントリーしていたアメリカ選手は ロバート・テイラー、 エドワードハート レイナード・ロビンソン の3人 100mの準々決勝は、1972年8月21日の午後4時15分に始まる予定だった。 競技時間が近づいてもアメリカチームはスタジアムにやって来なかった。 彼らは準々決勝は午後7時からだと思い込んでいたのだ。 コーチのスタンライトは、五輪の18ヵ月前に作られたスケジュール表を信じ込んでいた。 スタジアムへのバスを待っている間、4人はABCテレビの本部の中で、100mの準々決勝の中継を見ていた。 1次予選の録画であると思った中継が、生の映像だとABCのスタッフから伝えられると、1組で走ることになっていたロビンソンは、自分が走る予定だったまにそのレースを見ていることに驚いた。 ハートは2組、テイラーは3組だ。 4人は慌ててオリンピックスタジアムに行くことになるが、ハートが競技場に着くと、もう2組もレースは終わっていた。 テイラーは、スウェットをさっと脱いで、靴をはいて、2・3回屈伸運動をしてスタートラインに間に合った。 決勝ではソビエトのバレリー・ボルゾフが優勝。タイムは10.14。 ロバート・テイラーは10.24で2位に入った。 ボルゾフの優勝タイムが10秒14と平凡な記録であったため、アメリカのマスコミからタナボタ優勝と揶揄された。 ところがボルゾフは200mでも当時のシーズンベストである20秒00の好タイムで優勝し、マスコミを黙らせた。 さらに4年後の1976年モントリオール五輪でも100mで銅メダルを獲得し、ソビエト最高の精密機械とか、研究室から生まれた金メダリストとか呼ばれた。 陸上100mの金メダリストはアフリカ系アメリカ人が多い。 いわゆる白人選手の金メダリストには 1960年ローマ五輪 アルミン・ハリー(西独)10.0(10.32) 1972年ミュンヘン五輪 バレリー・ボルゾフ(ソ連)10.14 1980年モスクワ五輪 アラン・ウェルズ(イギリス)10.25 などがいる。 参考記事 陸上100mのはなし カール・ルイスからガトリンまで
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posted by aolinpike |12:03 |
陸上競技 |


