2008年09月04日

上野連投に想う。

そろそろオリンピックの感動が冷めてきている頃でしょうか。

結局、感動や涙なんて消費物でしかないような気がします。盛り上がるだけ盛り上がって、終わればスグ忘れる。次の熱狂できるものを探す。そんなこんなで利己的な行動を繰り返すのが人間の理なんでしょう。


さて、今回の北京オリンピックで一番の感動シーンの一つに女子ソフトボールの金メダル獲得が挙げられるのではないでしょうか。

何といっても上野由岐子投手の連投、そして快投!

ダブルヘッダーで318球を投げ、さらに翌日95球。


・・・ありえないですね。

正直、早く負けろ!って思いながら見てました。
打てない勝てないじゃ上野投手の投球を止めさせることができない。ならいっそ負けてしまえ、と。じゃないと上野投手の選手生命がどうなるかわからない。次のオリンピックだって活躍できるかもしれない・・・

あ、次はソフトないんだ!
だから使い捨てでいいという戦略だったワケですね。

まぁ、今回の上野投手がいいです。彼女は一気に知名度もあがり、報酬ももらえるんで。


ただ、問題視したいのは連投による酷使を是としてしまう文化。
チームの勝利のために自己犠牲するのを美談にしてしまう文化。

オリンピックという舞台だから許されるかもしれませんが、今回のようなケースが少年スポーツの段階から行われていると思ったら怖いです。目先の勝利のために、その先のスポーツライフが崩れていってしまうプレーヤーがいると思うと悔しいです。

「チームの勝利が選手に好影響を与えるじゃないか!」って言うかもしれませんが、違います。負けろと言っているワケではなくて、犠牲することなく勝たせてあげるのが指導者であり、監督の采配なんだと思います。

その点で言えば上野投手に投げさせなければ勝てない監督はダメな監督。そもそも連投でアメリカ戦に投げさせて勝つ見込みがあったのか。勝ったからいいものの、2連投で消費してしまってアメリカ戦で負けてしまうようなことがあれば戦略ミスもいいトコ。

高校野球も一緒。
わざわざ暑い時期に開催して、球児を追い込むだけ追い込んで生まれるドラマを楽しむ。そんなのコロッセオで殺し合いを楽しむ古代ローマ人と変わらない。

血も涙も感動も消費物。
スポーツ選手も「感動をありがとう」とか言いながら、最後は消費されて捨てられてしまう。


スポーツが文化にって言うけど日本のスポーツ文化は、スポーツとは剥離されたモノであるようにしか思えない。

posted by albireds |23:29 | やきゅう | コメント(1) | トラックバック(0)
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