2008年02月28日

福島学の奇跡的とも言える復帰戦を見られたことに感謝


今日は後楽園ホールへ福島学の試合を見に行った。


ブログのタイトルとは関係のないことについてもよく書いているので何のことやら分からないと思われるかもしれないが、ボクシングの試合である。

花形ジムというころの自主興行のようなものらしい。

正直に言わせてもらえばこれが福島の最後の試合になるだろう、負けたら引退をここで勧めようというような気持ちで見に行ったのである。


福島にとっての大舞台といえば今のところ最初で最後の世界戦だが、1Rでダウンを喫しその後もいいところが無かった。

日テレで放送されたが会場の両国国技館の入りは惨憺たるものであった。

あの試合に必要な金はJBスポーツのオーナーの森川ジョージが出したそうだ。

その後東洋太平洋王座につくも、一度も防衛できず、その後は福島にとって長くつらい時期が続いた。

昨年の池原戦は深夜にテレビで見たが、若いボクサーであればいい試合だった、と言いたくなる試合であったが、かつての世界ランカーとしてはとても満足の行く試合ではなかったということであろう。


とにもかくにも福島はJBから花形ジムへ移った。

JBをやめてから移籍するまでやや時間が空いたが、自分は移籍先が見つかるとは思わなかった。


その間の事情は全く分からないが、今にして思えば、もしかしたら高橋直人に気を使ってやや発表を遅らせたのだろうか。


再起戦となった瀬藤戦ではダウンを奪われて立ち上がったと思われたところで非情にもゴングを鳴らされた。


この試合もかなり夜遅くの放送だったが、自分は一生懸命目をこすって見た。判定をめぐってはかなり異論が出たようだが、眠気と戦いながら見た自分の印象では正直なところ力の差はあったと言わざるを得ない。


かつての師匠であった高橋直人は「逆転KO」で有名だった選手だったようだが、あの頃のレフェリングと最近のレフェリングには違いがあると言われている。


一般論として言えば最近のように試合を早くとめられてしまうと、かつてのような名勝負が生まれないというのはたしかにそうかもしれない。瀬藤戦はまさにそんな最近のレフェリングの傾向を顕著に物語るものであったようにも思われる。


しかし、それは単にレフェリーの問題として片付けられることではなく、残念な事故が起こることも含めて選手の質にも関係ないとは言えないのではないか。


福島と瀬藤の試合にしてもテレビで見ただけであるがあの試合で自分は福島にオーラを感じなかった。


何度打たれても倒れない、とか逆転する可能性もあるという風には見えず、むしろパンチのもらい方が危険なふうにも見えた。


そんな自分には福島がジムを移ってまで現役を続けたというのがはたしてよかったのか非常に複雑な気分にさせられた。


ちなみにJBスポーツは移転して自社ビルを作ったのであるが、移転後まもなく高橋直人会長もJBスポーツを去ってしまった。


つい最近になってようやくJBスポーツのサイトが立ちあがったが、かつて所属していた選手で今はその名が見えない選手もいるようだ。


またトレーナーに関しては情報はないようだ。


自分はJBスポーツのフアンというわけでもないが、なにかこう釈然としない気分もあるし、福島にたいしてもあまりいい感情を持っていなかったのかもしれない。

しかし、今日実際に試合会場に足を運んで見ると立ち上がりから福島は足が実によく動いていてなかなかいいボクシングをしていたと思う。


相手の池田は逆に花形から角海老に移ったということで、移籍したもの同士の試合ということだったようだが、完全アゥエーのプレッシャーは池田には重かったのか序盤から動きがやや硬く、小刻みな左ジャブは的確に福島の顔を捉えていたものの、福島の遠くから飛び込んでくるようなボディはじょじょに効いてきて結局判定ではやや差がついた形で福島が勝利を収めた。

池田は試合後涙していたようで、福島の応援団は沸きかえっていたが、これからもし本当に世界を目指すとなるとまだまだ道は険しいだろう。


同い年ということもあり内藤の親友であることから自分もまだ世界を目指すということらしい。

自分としては非常に複雑な気分だが、幸運を祈りたい。


とにかく今日はいい試合だった。

とりあえずそのことに感謝だ。


ちなみに福島のブログを読んでいるといろいろと人の目や評価をかなり気にしているというか気にし過ぎのようにも思われるところもある。

ジムの移籍と同時に名前を変えながら親のつけた名前を変えたことに異論が出るとまた戻した。

しかもそれもブログでフアンの意見を訊いてからである。


それ以外にも電車などで最近、よく声をかけられるとかいろいろ気にしすぎだ思う。


しかし、辰吉のようになったらおしまいである。それだけは勘弁してくれ、とこれだけは最後に申し上げておきたい。

結婚して普通に働きながらボクシングを続けている元・東洋太平洋王者もいるようだが、とにもかくにも誰にでも引退の日はいつかはおとづれる。

今日の試合で引退はお預けになったがあくまでもこれは「お預け」である。そのことだけは忘れるべきではないだろう。

とにかく世界戦ができるようなことがあれば、ぜひまた見に行きたいが、辰吉のようになったらお母さんやお嫁さんをかえって泣かすことになるだろう。

内藤のように有名になってチケットがべらぼうに高くなるようなことはないだろうが、いずれにせよそれほどマスコミへの露出度があるわけではない選手のいい試合を見られたことはありがたい。


そういう選手のことをここで自分が書くのもどうかと我ながら思わなくもない。

スルーしてください、すいません。




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posted by akio |23:04 | 格闘技 | トラックバック(0)
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2008年02月23日

2008東アジア選手権日本対韓国:内田の使い方はこれでいいのか


岡田JAPANの注目は自分的には内田だったのだが、とにかくこの選手の俊足が生かせない印象が強く、試合を見ていて歯がゆい思いをした記憶があるが、今日もその印象は否めない。

というより内田の使い方にまだ迷いが生じている印象さえあった。

今日は内田をむしろ前に持ってきて積極的に攻撃参加させようとしたところで簡単に裏をとられ、あいたスペースを有効活用されあっさりきれいに一点入れられてしまった。


とにもかくにも左サイドに人数をかけすぎだったのではないか。

数的優位を作るというのは立派な考え方ではあるが、とにかく囲まれる前にとにかく突破して行こうという勢いがもっとほしい。

あの中国戦での疲れが全体的にまだ残っていたのかもしれないが、実に惜しい試合。


中村のシュート二本のうち一本でも入っていたらなどと言いたくなるが、まだまだ納得のできる状態にはほど遠い。

逆に中澤がいなかったら大敗していた可能性も否定できず、不安も大きい。


とにかく残念な試合であった。

ちなみにいまさらだが、自分は中国戦はいくつかの場面をビデオで見ただけだが、やはり岡田の抗議の仕方はゆるいし、その後の抗議も不十分で、できればこの試合は棄権してほしいぐらいに思っていた。


ただ今日の山瀬のゴールはやっぱりすばらしかった。

オシムの申し子たちとはえらい違いだ。

播戸は交代が遅いし山瀬との交代も自分的には疑問で、もう少し早い時間に田代と交代してほしかった。


この試合の意義を本当に認識しているのだったらもっと早い時間からエンジンかけるべきだった。

とにかく内田の俊足を生かしたカウンター攻撃が見られるようになればかなり違ってくるだろう。






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posted by akio |21:35 | サッカー | トラックバック(2)
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2008年02月20日

ドリー・ファンクJr.さよならシリーズ開幕戦で感じたこと


日曜日に久しぶりに後楽園ホールへ行った。

ドリー・ファンク・ジュニアのさよならシリーズ開幕戦である。


うん十年前この人の追っかけをやっていた自分としては万感胸に迫る思いで、前日からさまざまな思いが駆け巡った。

正午からの試合開始はプロレスではかなり珍しいと思うが、夜にもう一つの団体が興行を行うからだった。

試合15分ほど前ぐらいに会場に入ると、私の目にドリーの姿が飛び込んできた。


隣に西村とドリーの奥さん、弟子が一人いた。

Tシャツを買った人にサインしていたのだ。けっこうな人ごみであった。


ただし、公式には超満員札止めだったようだが、実際には自分が会場に入る時点でも当日券は売られてはいたようだ。


満員ではあったと思うが、自分がこの会場によく行っていたころは立見席で通路が盛り上がるような感じだったので、その印象からすると「超満員」というイメージはなかった。


かなりドリーに接近してさんざん迷ったが貧乏なので結局Tシャツは買わなかった。


自分が追っかけしてたころ、この会場でも何度となく入り待ち、出待ちをしていたものだった。


本当になつかしい。ドリーが試合前にサインをしていた場所では以前はよく馬場が葉巻をくわえてサインをしていた。

本当に後楽園一つとっても実にさまざまな思い出があり、ここには書けないおっかけ仲間との出会いや別れも経験した。


ファンクスは私にとって青春そのものであった。

でも人生そのものではなかった。


自分では認めたくなかったが、やはりある時期を境に自分もファンクスとは別れたのかもしれない。

テリーの引退そして復活によって自分も友人から馬鹿にされたこともあった。


お笑いタレントのネタにされて、そのネタでファンクスのことを知っているという人にも出会ったりした。


それぞれの人がそれぞれの見方でファンクスを直接・間接知っている。


現在の全日本プロレスをかつての状況と比べるのは忍びない。


最近のマット界に関しては自分はあまり知らない。


けれどもやはりとにもかくにも全日でドリーが引退することを素直に喜ぼうではないか。



と思いたいのだが、やはりいろいろな面で会場で気になったことはある。


プロレスに関してフアンの考え方や応援の仕方などについてあれこれ言っても仕方ないとは自分でも思うのだが、やはり気づいたことの一つとして、立ち見のスペースの両方のバルコニーのようなところに掲げられたあの横断幕はどうだろう。

おそらくというかはっきりとそれは西村に対するかなり痛い批判というか罵詈雑言であった。

ここでそのことを書くのはかえってよくないかもしれないが、あれはあまりにひどすぎるのではないだろうか。

今回のドリーのツアーが実現したことに西村が貢献したようだし、会場でもドリーのそばで西村が手伝っていたことなどを考えれば試合中の本人にも見えるようにあのような横断幕をつるすのは本当に心無い人たちの仕業だと思える。


また試合中の野次にしても西村に対するものはあまりなかったようだが、ひっきりなしにふざけた調子の掛け声が大声で叫ばれて会場では笑いを誘っていたようだけれど、自分は非常に複雑な思いがした。

なにより驚いたのは小島が自分が呼ばれた時に「なんだ」とバルコニーに話しかけたことだ。


自分の目には不快な表情というよりもあれも一種の「フアン・サービス」という風にも見えて実にいやらしい感じがした。


試合のあとでもドリーはサインをしていた。西村も一緒にいて西村もサインをしたり撮影に応じたりしていた。


両国の引退試合に行きたいけどもう自分は行くべきではないと思った。


かなりつらいというか、パーティの切符が買えなかったこともあって悲しい気分だ。


ファンクスの全盛時代のあのテリー・コール、ドリー・コールがなつかしい。


逆にあの頃に会場に足を運べたことは本当によかったとあらためて思う。



追記:この記事はおすすめで紹介していただきました。トラックバックともども深謝しております。




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posted by akio |23:20 | 昭和時代のプロレス | トラックバック(1)
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