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コラム「今なお色褪せないF1シューマッハの神業ドライブ」

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尾張正博=文/Williams F1=写真

■世界中が衝撃!シューマッハがスキーで事故

 2013年12月29日、衝撃的なニュースが世界中を駆け巡った。

「元F1チャンピオン、ミハエル・シューマッハがスキー中に転倒し、重傷」

 フランスの人気スキーリゾート地であるメリベルで家族とともにスキーを楽しんでいたシューマッハは、なんらかの原因で滑走コースを外れ、転倒。岩に頭部を強打して脳に重傷を負ったのである。ヘリコプターでフランスの病院に搬送されたシューマッハは、脳圧を下げるために医学的に誘導した昏睡状態によって、一命は取り留めた。しかし、その後も危機的な状況は続き、2月27日現在、意識は回復していない。

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 シューマッハとともに、2000年から04年まで5度のタイトルを獲得したフェラーリは「ミハエル・シューマッハが事故に見舞われたと聞いて以来、すべてのフェラーリのスタッフは祈り続けている」という声明を発表。

 91年のシューマッハのF1デビューをサポートし、所属する最後のF1チームとなったメルセデスも「われわれチームの元を去ったが、ミハエルが現在行っている戦いをわれわれも一緒になってサポートしていきたい。彼が完全に回復し、近いうちにわれわれのところに戻って来ることを心から願っている。なぜなら、われわれはミハエルが持つ闘志がいかに強いか、よく知っているからだ」と語っている。

 フェラーリやメルセデスといった、シューマッハがかつて所属したチームからだけでなく、現役時代に一緒に戦ったライバルたちもエールを送っている。そして、そのメッセージの中には「ミハエルにはこのような困難を乗り越える力をだれよりも多く持っている」というものもあった。

 おそらく、これはF1ドライバーたちだけでなく、シューマッハのレースを見てきた多くの人々が持つ共通した認識だろう。なぜなら、シューマッハは現役時代に何度も不可能を可能にしてきたからである。

■5速だけで40周を走りきった伝説のレース

 その伝説なレースのひとつに、94年に行われた第5戦スペインGPがある。ポールポジション(予選1位)から好スタートを切ったシューマッハは、すぐに独走態勢を築く。ここまでシューマッハは開幕4連勝を飾っており、多くの者が「このレースにも勝って、92年にナイジェル・マンセル(ウイリアムズ)が作った開幕5連勝に並ぶのではないか」とシューマッハの楽勝を想像した。

 ところが、1回目のピットストップでシューマッハを試練が襲う。それはギアボックスが5速に入ったまま、動かなくなるというトラブルだった。当時のF1は低速から高速まですべての速度領域でスムーズな加速ができるよう、7速が用意されていた。スペインGPの舞台となったカタロニア・サーキットもさまざまなタイプのコーナーが点在しており、何度もシフトチェンジする必要がある。それができないと加速が鈍るだけでなく、減速時にエンジンブレーキも使えなくなるため、ストレートエンドで時速約300kmにも達するF1を操縦するのは非常に難しい作業となる。

 さらにピットインすれば、発進時に1速を使わなければならない。レースはまだ序盤で、シューマッハは少なくともあと1回はピットストップする必要があった。シューマッハの戦線離脱は時間の問題となるはずだった。
 しかし、シューマッハはあきらめなかった。2速や3速を使用する低速コーナーではエンジン回転数が落ちないようアクセルを吹かしながら、エンジンがストール(エンスト)しないように細心の注意を払い、さらにストレートエンドでは早めにブレーキを踏むなど、さまざまな工夫を行いながら、5速だけで走り続けるのである。当然、ペースダウンを余儀なくされ、トップの座を譲るが、そのペースはトップとコンマ3秒しか違わず、表彰台圏内を走行するのである。

■セナ亡き後の最初のチャンピオン…あの笑顔よ、再び

 1つのギアだけでレースをするのが、どれほど過酷なことなのかは、91年のブラジルGPがよく物語っている。このレースでアイルトン・セナは6速しか使えないというシューマッハとほとんど同じトラブルに見舞われながらも優勝した。トップでチェッカーフラッグを受けたセナは精根尽き、ウイニングランの途中でマシンを止めてしまうのである。単純な比較はできないが、セナがトラブルに見舞われたのはレース終盤。これに対して、シューマッハはレース序盤。じつに40周以上も5速だけで走行していたのである。優勝は逃したものの、見事な2位表彰台と讃えられたのは、そのためだった。

「私はこれまで91勝を挙げてきたが、あのレースはそれらどの勝利にもひけをとらないベストレースのひとつだ」

 後日、シューマッハは、そう語った。それはその神業的なドライビングだけが理由ではない。じつはその年、シューマッハはセナ亡き後、ライバルとなったデーモン・ヒルと最終戦までタイトル争いを演じ、わずか1点差で初めてチャンピオンの座に就く。もし、スペインGPが2位(6点)ではなく、3位(4点)以下だったら、シューマッハはチャンピオンを獲得することはできず、F1の歴史は違ったものになっていたかもしれないからだ。

 その後、シューマッハは6度チャンピオンを獲得し、通算7度という前人未到の大記録を打ち立て、2012年に引退した。その原点ともいえるレースが94年スペインGPなのである。

「決してあきらめず、どんな状況でも常にベストを尽くす」

 それは、いまも変わらない。必ずや回復し、再び笑顔で戻ってくることを信じたい。


<著者紹介>
尾張正博(おわりまさひろ)/ライター
1964年、仙台市生まれ。93年にフリーランスとしてF1の取材を開始。98年から2001年まで、F1速報誌の「GPX」誌の編集長を務めた 後、02年から再びフリーランスとしてF1グランプリを全戦カバー。グランプリ・トクシュウ(エムオン・エンタテインメント)、F1速報(サン ズ)、東京中日新聞などに寄稿。主な著書に「トヨタF1、最後の一年」(二玄社)、「F1全戦取材」(東邦出版)などがある。

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