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コラム「川内優輝に負けない中本健太郎の“常識破り”」

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寺田 辰朗=文

(初の五輪&翌年世界陸上の連続入賞)

 北の大国ロシアの首都モスクワで開催された世界陸上。予想に反して暑さのなかで展開されたマラソンで、5位と好走したのが中本健太郎(安川電機)だった。陸上界でも“地味な選手”と言われているが、これは本人のキャラクターと高校・大学時代の活躍がなかったから。走りの中身は2年連続で“常識破り”の快走だった。



 昨年のロンドン五輪の6位入賞については後述するが、モスクワの5位入賞は、日本のマラソン選手では初めての“五輪&翌年世界陸上の連続入賞”である。オリンピックを走り、翌年の世界陸上にも出場した日本選手自体、過去1人しかいなかった。熾烈な五輪選考レースを勝ち抜き、続けてオリンピック本番を走る。心身とも追い込まないと乗り切れないため、翌年は休養主体のシーズンとするのが日本マラソン界では当たり前と考えられていた。

 過去の1人は2008年北京五輪と2009年ベルリン世界陸上に出場した佐藤敦之(中国電力)である(モスクワでは女子の木崎良子も該当)。佐藤は北京で完走者中最下位に終わった屈辱を、ベルリンで晴らすというモチベーションがあった(6位入賞)。その点、中本はロンドン五輪で6位となり、大健闘と評価された。もう一度モスクワで頑張る理由は、常識的にはなかったのである。

 実は中本も、2013年は休養に充てたいと考えていた。だが、マラソンで勝ったことがなく、一度優勝を経験しておきたかった。そこで出場したのが2月の別大マラソンだ。福岡、東京、びわ湖よりも選考レースとしては位置づけが低く、出場する有力選手は少ない。

 だが、そこに出てきたのが川内優輝(埼玉県庁)である。デッドヒートの末に中本は競り負けてしまった。川内はマラソンだけでも12月に2レース、1月中旬にはエジプト国際マラソンに出場(2時間12分24秒で優勝)。エジプト遠征は1泊4日の強行軍で、普通であれば別大にベストコンディションで臨むことなど不可能なはずだったが、2時間08分15秒の自己新で走ったのである。

 しかし中本も2時間08分35秒の自己新で、モスクワ世界陸上代表入りが可能な状況になった。前述のように辞退する予定だったが、中本は世界陸上を走る決心をした。

「(川内と)同じ代表になって、モスクワでリベンジしたい」

 中本のモスクワでの“常識破り”の快走は、もう1人の“常識破り”の男、川内に触発された結果でもあった。

(落ちこぼれ寸前だった中本)

 ロンドン五輪で6位入賞した昨年の段階で、すでに中本は常識を破った存在だった。
「エリート育成路線からの落ちこぼれ」と自身の高校・大学時代を振り返ったのは川内だが、中本もそれに近い状況だった。高校時代はトラックも駅伝も、全国大会への出場はない。拓大時代にも日本インカレには一度も出場したことがなく、箱根駅伝も出場は1回だけ。7区で区間16位という成績しかなかった。

 川内も高校時代は中本と同様だったが、学習院大時代は日本インカレ5000mで14位という成績がある。関東学連選抜チームで出場した箱根駅伝では6区で2年時に区間6位、4年時に区間3位と、それなりの成績を収めている。

 川内は実業団からの誘いを断って公務員の道を選んだが、中本は実業団に頼み込んで入れてもらった。安川電機入社後も駅伝ではなかなか芽が出ず、3年目くらいには退部勧告されそうだったと聞く。

 中本のロンドン五輪時点の1万mのベストは28分54秒59。今年の箱根駅伝出場選手のランキングに当てはめるとなんと、47番目である。アフリカ勢はマラソン選手でも、27分前後のスピードを当たり前のように持っている。1万mで2分近く遅い中本が、オリンピックのマラソンで入賞してしまう。常識ではあり得ないことを実現させたのが中本健太郎という選手だった。

(どちらのスタイルでも結果は出せる)

 川内は市民ランナー的なスタイルで力を伸ばすことに成功した。フルタイム勤務で1日1回の練習が限界。ポイント練習(負荷の大きい練習)は週に2回だけで、残りの5日間はジョッグでつなぐ。月間走行距離は500~600kmと実業団選手の半分程度。まさに、マラソン練習の常識を覆す手法で結果を出し続けた。

 それに対して中本は、従来の手法の範囲内で結果を出した。

 中本がマラソンに進出したのは入社4年目の2008年から。少しの失敗はあったものの結果を出し続けている。駅伝ではまったく芽が出なかった選手が、マラソンに巡り合って大きく変わった。

「夏場は練習の距離走で遅れることはなかったので、マラソンなら結果を出せるのでは、という思いはありました」と、中本は振り返るが、夏に強いというだけで、従来のやり方を覆すスタイルではなかった。

 モスクワ世界陸上前の練習に、ロンドン五輪前と比べて成長した部分が2つあった。1つはポイント練習をすべて、予定通りにこなしたこと。もう1つは「以前はトラックレースの最後で、硬くなって失速していました。そこが強化できた」(安川電機・山頭直樹監督)

 だが、完全にこなしたとはいえ、あくまでも通常のポイント練習である。トラックレース終盤に進歩があったとはいえ、1万mの自己記録が27分台に伸びたわけでもない。

 川内がマラソンに多く出場するのは、実際のレースを使うことで、高いレベルの練習ができるからだ。マラソンの2時間12分は練習と呼べるものではないかもしれないが、中本のポイント練習を完璧にこなすことと通じるものがある。

 モスクワで川内が18位と結果を出せなかったのは、前半で先頭のペース変化に敏感に反応しすぎたところもあったが、暑さへの弱さを克服できなかったことが主たる敗因だった。ここまで結果を出し続けている川内のやり方を、否定することはできない。

 従来のスタイルを大きく変更したやり方で自身を突き詰めたのが川内で、従来のスタイルで自身を突き詰めたのが中本、ということができる。どちらのスタイルでも結果を出すことは可能なのだ。

(もう1つのオプション)

 モスクワで残念だったのは、1万mで27分台のスピードを持つ前田和浩(九電工)が17位と、期待されたような結果を残せなかったこと。過去には佐藤敦之や高岡寿成といったスピードランナーが世界陸上で入賞しているが、2011年テグ世界陸上7位の堀端宏行(旭化成)以降はスタミナ派の選手しか入賞していない。

 そういった意味では1万mでテグ、ロンドン、モスクワと3大会連続で出場した佐藤悠基が注目される。

 ロンドン五輪後にマラソン進出を宣言し、今年2月の東京で初マラソンに臨んだ。「その方がマラソンを理解できる」という考え方で、十分なマラソン練習をしないで出場し、終盤失速して2時間16分31秒(31位)に終わった。

 しかしトラックでは日本選手権1万mで3連勝し、5000mでは7月のヨーロッパ遠征中に13分13秒60と日本記録に0.40秒と迫った。モスクワでは直前の故障の影響で途中リタイア。3大会連続で自身の力を発揮できなかったことで厳しい意見も出たが、マラソンをやりながらもトラックのスピードを上げられたことは評価できる。新しいタイプのマラソンを確立する期待が大きくなった。

 佐藤がマラソンで成功すれば、中本スタイル、川内スタイルに加え、リオ五輪へのマラソン日本のオプションがさらに1つ増えることになる。

<著者紹介>
寺田辰朗(てらだたつお)
陸上競技専門のフリーライター。専門誌編集部から2000年に独立。トラック&フィールドからマラソン、駅伝まで国内主要大会のほとんどを取材している。海外はオリンピック(北京)、世界陸上、アジア大会、ロンドンマラソン、シカゴマラソンなど。2001年に開設した寺田的陸上競技WEB(http://www.rikujouweb.com/)は月平均アクセス数が40~50万になっている(2013年)。静岡県袋井市出身。

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