2007年04月27日
デビルレイズの岩村明憲内野手が23日のヤンキース戦で右脇腹を痛め15日間の故障者リスト入りしましたね。前日の好プレーやその後の会見ではそんなそぶりを微塵も見せなかっただけに、翌日球団からのリリースが届いたときには正直「名前が間違っているのでは・・・」と思ったほどです。
若いチームだけに「ヤンキースに勝った!」という思いが翌日からのチームの雰囲気向上に一役買うのは言うまでもありませんが、その1勝とひきかえのDL。ファンの立場からは「無念」の一言に尽きます。岩村選手の代わりにメジャーにコールアップされたのが大親友のホルヘ・カントゥ選手なのも皮肉でした。普段陽気なはずのカントゥも岩村選手の話題には神妙な表情。できればアキと一緒にプレーしたかったですよね、と、思い切って聞いてみました。
「・・・もちろん100パーセント嬉しくはない。でも、これもビジネスだし。それに彼が戻って来て、僕もメジャーに残って、2人で一緒にプレーして勝てる日が来るはずだよ」と話してくれました。
この岩村選手が痛めた”oblique muscle (=右腹斜筋)”。昨年はカージナルスのアルバート・プホールス、レッドソックスのフリオ・ルーゴ選手らも同じ箇所を痛めて戦線離脱しました。岩村選手のリハビリ初日の取材に行った際、トレーナーの方とお話しする機会がありましたが、業界内ではいわば昨年の”流行の病”だったのだとか。左打者にとっての右脇腹は全ての動きが始まる箇所ですし「そこから全ての力が伝わりますからね、そこに力が入らないと打撃が全てが崩れてしまう」とおっしゃっており、今回の岩村選手のケガの深刻さを物語っていました。昨年の2人で言えばプホールスは15日で復帰、ルーゴは約1か月してカムバックするも暫く不調が続き、同じ箇所でも状況次第ではこうも差が出ます。
岩村選手曰く、痛みは「気を使ってくしゃみをしないといけない」程度。復帰に向けてのタイムテーブルを設定するとそれに合わせようとする気持ちで焦りが出るため、自分では日程を決めたくないとも話していました。
心身共に最も大変なはずです。回復が少しでも早ければいいなぁ、と、祈りつつその後の状況も見守ろうと思います。
posted by abehiro |11:50 |
News |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2007年04月20日
ホワイトソックスの取材でシカゴに来ています。
昨日はホ軍のエース左腕、マーク・バーリー投手が球団としては91年以来のノーヒットノーランを達成しました。5回にサミー・ソーサに四球を与えましたが、それをけん制でアウト。9回を106球27人切りです。凄いです。”準完全試合”に、試合を見ていて緊張しました。
そんなバーリーが一夜明けて改めて記者会見。
「昨晩なにしてたかって?うちでテレビを見ながら何杯か飲んで、おなかが減ったんだけど冷蔵庫になにもなくて、ワイフと冷凍ピザをあっためて食べた。午前1時半には寝てた。あはは」。
「オレの電話番号を知ってる全ての人間からメールや留守電が入ったよ。オヤジは泣きながら電話してくるし、ブラザーは翌朝午前6時から仕事だっていうのに、夜中に留守電いれて『まだテレビのリプレイ見てるよー、寝れないよー!』って叫んでたなぁ」
「・・・しかし、オレの名前と『ノーヒットノーラン』ていう言葉が同じ文章に入るって、ヘンな感じだよ。ワイフはこういうのをやると2人の時間が減るんで、『無い方がいいわー』って言うんだ。オレも同感だね。取材ばっかりだもの」
普段から冗談好きなバーリー。彼らしさ溢れる会見でした。
ということで本日付のスポニチにはそんな左腕の魅力を「これでもかぁ!」というぐらい紹介したつもりです。でも、書ききれないことがまだまだ。去年月刊「スラッガー」(「MLB TALK SHOW」という連載をやってまーす)で取材したときもやはり「か、書ききれないぐらい面白い人だ・・・」と頭を抱えたのを思い出しました。
普段のバーリーは「近所のお兄さん」的素朴な存在。正義感あってチームメート思いで「エースかくあるべし」の生きた見本というような人です。いつも何かイタズラをしないと気が済まないようだし、チームメートへの”突っ込み”も手厳しいし、遊撃のウリーベ選手のとの掛け合いは笑えます。ドミニカ出身のウリーベ選手は英語がまだ苦手。一度クラブハウスで選手がテレビを見ていて、どこの国の言葉か分からない(決してスペイン語ではなかった)言葉で話すコマーシャルが流れました。すかさず「ヘイ、ウリーベ、今のなんて言ったんだ?」
「・・・なんでオレが分かるんだよ」(ウリーベ選手つぶやき)
ワールドシリーズ、ノーヒットノーランと、次々に歴史に名を刻む名投手。その素顔が親しみやすいミッドウエスタン・アメリカン・ボーイというギャップがバーリーの最大の魅力だと思います。
posted by abehiro |08:07 |
News |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2007年04月17日
ツインズ戦でミネソタに来ていました。事後報告ブログです。
今回の4連戦では、取材以外に大きな”ミッション”を抱えており、ツインズで最も忙しい選手を捕まえる必要がありました。
・・・なんて書くと大げさですが(すみません)。ヨハン・サンタナ投手に挨拶しようと思っていたんです。
サンタナにどうしても日本のニュースを伝えたかったのでした。日ハム守護神、マイケル中村選手が8日に右肩痛で戦線離脱しましたよね。サンタナとマイケル両投手は共にツインズのマイナーチームで育った仲。投手仲間ですし、気になるんじゃなかなと思って。想像通りサンタナは「そうなの?」と目を大きくして矢継ぎ早に”取材”開始。
「ナッキーの具合はどう?」
「どこがどう悪いの?」
「日本にもいい医者は?・・・いるだろうけど・・・」
「何かあったらいつでも言って、と伝えてくれる?」
「あ、心配してる、とも伝えてくれる?」
「それから、近いうちに会いたいなっていうのもさぁ・・・」
ええっと、メモ、取った方がよろしいでしょうか・・・
とりいそぎ、マイケル中村選手!
サンタナ投手がミネソタでとても心配されていまーす!!
以前、興味深い話を聞いた事があるんです。
03年の話だそうでうすが、2人がチームに呼ばれ車で球場に向かう車中、運転席のサンタナがマイケルに言ったそうです。
「I will let them pay.」(=球団に払わせてやる)
00年から中継ぎとしてツ軍でプレーしてきましたが球団の評価は低く、02年には一度マイナーに降格しています。当時のツインズは先発ローテ層が厚く、若いサンタナにチャンスが回ってこなかった。悔しい思いをマイケルはずっと聞いて来たそうです。でも運転をしながらキッパリ言い切った口調からは、なにか確固たる決意が感じられた、と。
その言葉通りなのか、03年のサンタナは開幕から7試合連続で1度も得点を許さず、本領発揮。その年先発で初登板した5月9日のレッドソックス戦では5イニングを4安打無失点。シーズン後半にはローテに定着し、着実に白星を重ねました。
04年には開幕から先発ローテ入りし、地区優勝を経験、更に初のサイ・ヤング賞も受賞しました。言葉通り年俸も大幅に増加。マイケル選手も思い出しては「信じられないよね」と笑っています。
サンタナにその話をしてみました。「ふふふ、そんなこともあったよねぇ・・・」と遠い目。「でもナッキーも日本で去年すごかったんでしょ?」と言うので昨季日ハムは日本一になり、守護神として活躍しましたと伝えると。
「ワオ、オレもワールドシリーズ勝ちたいよ」。
昨年は投手三冠を総なめし、2度目のサイ・ヤング賞を受賞。投手として得られる栄誉は全て手に入れているように見えますが、最終目標はやはり、「W」の1文字なんですよね。
マイケル投手にも連絡が届くといいなぁ、そして、日米で2人が今シーズンも活躍すればいいなぁ、と、陰ながら祈っておこうと思います。
posted by abehiro |18:34 |
Human aspect |
コメント(0) |
トラックバック(0)
2007年04月06日
メジャー開幕です。
遅ればせながらの報告、になりましたが、タンパベイ・デビルレイズに付きニューヨークでのヤンキース戦を取材してきました。休養、雨天中止があり結局2試合しか行われませんでしたが、1勝1敗。チーム平均年齢がメジャーで最も若いデビルレイズも、ヤンキースを相手にいい試合を行いました。
敵地だというだけでも、デビルレイズにとってはやや不利な状況でしたが、あったかいフロリダに本拠地がある彼らにとって、試合開始気温が約5度、徐々に雪がちらついた第2戦は過酷でした。ただ今季メジャー入りしたエライザ・デュークスは違いました。フロリダ出身の彼は「雪をみたことがないんだ!」と練習中に顔が嬉しそう。”I'll go eat some! (=ちょっと食べてくるよ!)”とピョンとグラウンドに飛び出していきました。
この2戦で2本塁打する活躍も見せてくれました。初戦はメジャーを代表するパバーノからの1本とあり、鮮烈なデビュー戦となりました。さぞや思い出に残る試合になっただろうな、と2戦目の試合後、移動前にニューヨークの感想を聞きましたが・・・
「手足の感覚が無くなってたよ。こんな寒い中のプレーは初めて。ホームランよりもそっちの方が今後記憶に残るんじゃない?」
だそうです(笑)。
チームとしては白星を背負って本拠地に向かう訳ですし、いいホーム・オープナーが期待できそうです。
NYのJFK空港です。タンパ行き出発前のゲートにて。
posted by abehiro |10:10 |
On-the-Field |
コメント(1) |
トラックバック(0)