2007年08月02日
日本相撲協会とは何様か。
朝青龍の出場停止問題については、正直なところ、私は朝青龍の味方である。 日本相撲協会に対しては、「あんたら何様?」という印象が、どうしても否めない。 問題の発端となった「巡業を休んでサッカー」事件だが、「それがそんなに悪いことなのか」と疑問に思っている。 だって、相撲は格闘技だ。おそらく、立会いの衝撃は世界ナンバーワンだろう。100kg150kgの巨体が、100mのスプリンター以上のダッシュ力でぶつかり合う、その衝撃はトン単位になる。怪我をした人間に出場を強要するほうが非道ではないのか。 そして、朝青龍がモンゴルで行ったのは、競技としてのサッカーではなく、チャリティの草サッカーで、時間もわずか10分前後であるという。相撲の立会いとは比べる方がおかしい、プロのアスリートにとっては単なるお遊びのレベルだ。 世の中には、怪我をした人が、歩いてもいいけど走るのはダメ、ジョギングはいいけどダッシュはダメ、ということがある。朝青龍が、相撲の立会いはできないがお遊びの草サッカーはできるという状態であったとしても、充分に納得できる話だと思う。 そういう状態のときに、友人である中田ヒデとモンゴル政府から、単なる遊びではない、チャリティ事業への参加を要請されて、承諾し出場したことが、それほど悪いことなのだろうか。 出場して、思わず夢中になって楽しむことは、相撲界を追放されるほどの罪悪なのだろうか。 そして、それほどの大罪なのだと言い張る相撲協会は、巡業の重要性を朝青龍本人にきちんと伝えていたのだろうか。通知していない罰則で人を裁くことは、道義的に問題がありはしないか。 これまでも注意を受けてきた、朝青龍の稽古の無断欠席や土俵内外でのふるまいについて、横綱審議委員会や相撲協会は、彼に対する直接指導をあくまでも避けてきた。今回も現時点では直接指導する考えはないという。それは、横綱を「推挙する」「選ぶ」立場の人間として、無責任ではなかろうか。 「言わなくてもわかるだろう」「雰囲気を察しろ」というやり方は、外国人である朝青龍には通用しない。遊牧民族である彼にとっては、日本のそうした考え方は、おそらく根本から理解できないだろう。そうした人間を横綱にした以上、横審と協会には、彼に対して「横綱とは何か、何を求められているか」を理解させるよう努力する義務があると思う。 今回の協会のやり方は、いままで朝青龍を「野放し」にしてきた自分たちの責任をタナにあげて、本人だけを切って捨てるようなものだ。特待生問題における高野連の当初の態度と全く同じである。 また、百歩譲って、協会には朝青龍を出場停止にする権限はあることは認める。 しかし、謹慎処分といっても、「原則として部屋、自宅、病院以外の場所に出入りすることすら禁じる」とは、明らかにやりすぎだ。朝青龍の個人としての人権すら侵害する越権行為ではないのか。そこまでの罪科を科す権利が、果たして協会にあるのだろうか。 この点についても、必要以上に「高校球児」の私生活を縛ろうとする高野連と同じ匂いを感じる。 でなければ、朝青龍に対する明確な悪意だ。「嫌ならやめろ」と言わんばかりの虐待ではないか。 もし協会が唱える「土俵の充実」を真に願うなら、21場所の優勝をはじめ土俵を支え続けてきた朝青龍に対し、ペナルティを科しつつも復帰の道を探るのが常道だろう。 出場停止は仕方ないとしても、その間に奉仕活動などを課し、充分な反省と真摯な態度を示したら、それを認めて復帰させればいい。今まで問題を起こしたJリーガーは、たいていこういう形で才能を救済されてきた。 それすらさせないということは、結局、自分たちの理解できないもの、管理できないものを追放したいだけなのではないか。朝青龍への処分についての会見を行った伊勢ノ海理事も、「心情的にはそういうの(朝青龍のトラブルに対する反発)も加わっているのかもしれない」と認めているという。 構図的に、今回の協会の態度は、高野連と全く同じ、現実を見ずに理想だけを掲げる、現場に対する無責任さと危機感の欠如を感じる。「自分たちの理想」を否定するようなヤツは、才能があろうが強かろうが関係ない、出て行け―――そういう態度だ。 日本の「国技」である相撲と、日本で最も人気のある高校野球が、共通してこういう性格を持っていることに、日本人として絶望を感じてしまうこの頃である。
posted by a-chan |23:28 |
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