2009年01月21日
わんつーすりーふぉーぷりきゅあ、ふぁいぶ!!
ぷりてぃきゅっきゅっきゅあ!えぶりばでぃーいえすふぁいと!どきどきっぱぁっとわらって〜すまいるごーごー!
いや、何も意味は無い・・・・・。
プリキュアが現役を続けるって聞いたから・・・。
それだけです。
posted by 198428 |17:57 |
競馬 |
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2009年01月21日
きっと僕だけかもしれないが、僕は心の中に机を持っている。
その机には僕の「これまで」がたくさん詰まっていて、たまに「これまで」が暴走して溢れ出てしまう事がある。そうした時は何も出来なくて、ただ泣いてしまうばかりだ。
そんな机だけど僕は、その机を愛おしいと感じている。そこにあるのは僕だけの「これまで」で、そして「これから」のモトになるモノだから。だから僕はその机を心から捨てないでいる。
そんな机に、誰も触ろうとも思わない自己中で自己愛にまみれている、そんな机に、鍵がかかっている引き出しがある。
その引き出しは、触れていたいんだけど触れると痛かったり、泣きそうになったり、若さを後悔してしまう、そんな想い出ばかりが入っている。そして総じて全部が大切な想い出だったりする。
その中に、いる。
彼の事は何も知らないけれど、それでも彼は、心の机の引き出しに今もいる。
馬。ただのサラブレッド。きっと普通の競馬ファンならそんな馬の記憶なんか遥か彼方に放り去り、たま〜〜〜〜に思い出して、あぁ、そんな馬もいたなって思う位の馬。
そんな彼。今思い出せば、痛々しくて、バカバカしくて、アホすぎて、どうしようもない位幼い想いで。
彼を想っていた。
根拠が無い、確信を持って。強く、純粋に。ただ、憧れていた。
(別に強く無いよ?速い脚も無ければ凄い脚も無いよ?一応記録は残したけど記憶には残って無いよ?)
それでも。僕は憧れていた。
遠い日の、記憶-
愛おしい、想い-
その彼の最後のレースが、京都大賞典だった・・・・。
僕が競馬に初めて触れたのは、マヤノトップガンの天皇賞だった。その後あの素晴らしいモノ、すなわち競馬を見たかったのだが僕の当時の家では競馬はニュースのダイジェストかNHKでしか見る事が出来ず(田舎ですから!)、次に見たのは確かテスト休み中の日曜日。(中学生ですから!)NHKでのダービーだった。
あの年のダービーは、希代の逃げ馬の第一ターニングポイントとして取り上げられたり、名牝を打ち負かす事になる馬の末脚が言われたり、そして何と言っても勝利ジョッキーのガッツポーズが問題視されたダービーだった。
しかし、あの時の僕にはそんなレースだなんて思いもしなくて、ただジョッキーのガッツポーズがカッコイイなぁ〜、とか馬が初夏の陽射しに照らされてピカピカでカッコイイなぁ〜、とかどうしてなんちゃらライトニングは走れないの?(笑い事ですね(笑)とか思っていたレースだった。
そんなレースの一番人気が、僕の心の引き出しに今もいる彼、メジロブライトだった。
彼は全走の皐月賞で四着だった。らしいのだが、当然僕は見ていない。だから何故一番人気なのか、どんな馬なのか、そんな基本的な事さえ知らず、ただ一番人気なんだって位の怪しい認識でレースを見ていた。
結果ブライトは三着だった。サニーブライアンの逃げ脚、シルクジャスティスの鬼脚、サイレンススズカと上村(!)の控えた競馬。
いろいろあったが今考えればたいしたことないレベルのダービーだった。それでも初めてのダービーはこうして心に残っている。
そしてそんなレベルの中で一番心に残っているのが、一番人気のくせして妙にもどかしいレースをして主役を奪われた彼、メジロブライトの走りだったのだ・・・・。
なんの情報も無く、ただ競馬が見たかった夏を越えて、季節は移り、秋になった。
秋、11月。半年ぶりに、競馬を見た。
菊花賞-
ジャスティスは来なくて、替わりに瞬発力のマチカネフクキタルが跳ねた。ステイゴールドが初めての本領発揮で二着を確保(笑)、メジロブライトはまたしても三着だった・・・・。
不登校児だったあの当時の僕は、きっとあのもどかしいレースをするブライトに自分を重ねていたのだと思う。
勝てないブライトと、何も出来ない自分。ブライトには失礼な話だと思うが、自己中な中学生だった僕にとってあのもどかしい走りは自己表現が出来ない自分にそっくりだと思っていたのだ。
もやもやとした想いが溜まっていった。二回しか見た事がない馬だったが、その全てが僕に似ていると思ってしまった。
だから勝ってほしかった。何もかもを破壊して、新しい世界を創造してもらいたかった。
そうなれば、きっと、僕も、学校に行ける。
足りない頭は、全ての希望をブライトに託していた。
その時は、すぐにやって来た。(ちなみにこの冬から、家のテレビでスーパー競馬が見られるようになった)
相手だとかレースレベルだとか、そんな事は知らない。そんな事は「ユウシキシャ」が語ればよくて、僕には全く関係がない。
必要なのは、全てを破壊する力だったのだ。
だけど-
そこは暗い中山競馬場。冬の厚い雲に遮られ、光も輝きも無く、未来さえも見えない。そんな中山競馬場。
そしてあのレースでブライトは、生涯ただ一度だけの圧勝というパフォーマンスを、観客に見せつけたのだった・・・。
ステイヤーズステークス。二着に1・8秒もの大差を着けて、メジロブライトは勝利した。今までのもどかしい走りがまるで嘘のように、ブライトはターフを駆け抜けた。
嬉しい気持ちと信じられない思いが入り交じり、何だか気持ち悪かったのを覚えている。
自己投影していた存在が、本当は自分とはまるで違う存在だった事に気がついてしまったのだ。
ブライトは確かに全てを破壊出来る力を持っていた。そして、その力は僕の心まで破壊していった・・・・。
年が明けて、ブライトは勝ち続ける。AJC杯、阪神大賞典、そして、天皇賞。古馬の王道を歩む、ブライト。対象的に、引きこもりを続ける僕。
ブライトに感じていた訳のわからない仲間意識は消えうせ、かわりに焦りが心に芽生えた。
何かしなければ・・・。そう思っていた僕だったけれど、相変わらず何もしない日々が続いた・・・・。
そしてブライトは四連勝から、宝塚記念に。
スタートで何か、あった。確かにブライトは外枠発走になりファンファーレは二度鳴った。しかしあんな事が無くても、あの希代の逃げ馬には勝てなかっただろう。
そして、それからブライトはあのもどかしい走りを見せるようになっていく・・・。
セイウンスカイ(京都大賞典)、グラスワンダー(有馬記念)、スペシャルウィーク(天皇賞・春)。軽く思い出すだけで簡単に浮かんでくる、もどかしい走りと結果。
エモシオンには勝った(日経新春杯)けど、それが最後の勝利になるなんて思わなかった・・・・。
時は流れた。僕は16才になりブライトも6歳(現表記)になった。
僕はせっかく入れた高校を辞めて、かわりに自分が憧れていた仕事、すなわち競馬の仕事に就いた。
あの時感じていた焦りは消えていた。仕事が楽しかった。好きな事が出来る満足感が僕を満たしていた。
そして一年目の秋。初夏に仕事を始めてから数カ月が経っていた、秋。
京都大賞典--
最初、ブライトが走るなんて知らなくて、だから見る事が出来たのは本当に幸運だった。
ブライトの走りは・・・・もう、全てを破壊出来る力も無く、そしてもどかしい走りすら出来ないのが、簡単に感じられた。
リズムが悪く、流れに乗れない。スピードが上がらず、置いていかれる。
ブライトは、もう、僕の知っているブライトとは、違っていた・・・・。
それでも!それでもブライトは走ったのだ!ボロボロになりながらも、ぐちゃぐちゃになりながらも、それでも走ったのだ!
そんな馬に、かける言葉は、たった一つだ。
「走れ!」
そしてブライトは走りきった・・・・。
僕は少しだけど、競馬とは厳しい世界だと知っている。甘い言葉は意味が無いと知っている。
だけど、声をかけたかった。走りきったメジロブライトに。僕は声を。
「お疲れ、ブライト。ありがとう。」
ブライトの最後のレースになった、京都大賞典。
忘れる事は無い、大切な想い出。
残念だが、生前の彼に会う事は出来なかった。だからこそ、この馬が気になるのだろう。
夢の箱、ドリームキューブ。父メジロブライト。
彼の子供、最期の世代。
いつか、彼にGⅠを走ってもらいたい。そう願うのは、きっと甘い言葉だと思う。が、思うのは自由だ。
僕は新春の彼の勝利に、限りない夢を見る。あの全てを破壊出来る力を見せてくれる事を・・・・・・。
追記
いや〜〜〜・・・。やっぱり長くなりました〜・・・。疲れた・・・。
最後まで呼んでくれてありがとうございます。
ブライトは僕にとって大切な馬なので勢い余ってこ〜んなに長くなっちゃいました。
むっ!このままだと本文と同じ位長くなりそう(笑)
それじゃあ、また今度。
posted by 198428 |11:20 |
ドリームキューブ |
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2009年01月09日
フラムドパシオン、情熱の炎。
その炎が昨日、消えてしまった・・・・。
フラムドパシオン、登録抹消--
いや、こうなる事は分かっていた。こうなると思いたくなかっただけだ。
有り余る才能を持て余していた、パシオン。ゲートが上手くなかった、パシオン。
脚が強くなかった、パシオン。
分かっていたよ、この位。大好きだから、大好きだから。この位、分かってて、でも認めたくなくて。
復帰、してくれるんじゃないかって、期待して。
馬鹿だなぁ、僕は。
ありがとう、フラムドパシオン。お疲れ様。
ゆっくりと、おやすみ。
posted by 198428 |00:19 |
競馬 |
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